第六潜水艇について考えてみる~事故と佐久間艇長の神格化~


OODAループから考えた結果、ちょっと毛色の違う記事を書いてみます。英語、電波法といった潰れた企画の二の舞はごめんですが…

というわけで、今回は軍事系。第六潜水艇の事故と佐久間艇長の神格化について考えてみます。

皆様、第六潜水艇は御存知でしょうか?

詳しくはこちらのウィキペディアをご覧いただければと思いますが、第6潜水艇という単語は知らなくても「佐久間艇長」という美談を知ってる方は多いかと思います。ってかこのブログにたどり着いたということは、そういうことかと(笑)

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E5%85%AD%E6%BD%9C%E6%B0%B4%E8%89%87

佐久間艇長こと、佐久間勉大尉。

佐久間艇長以下14名は、1910年4月15日、広島湾で訓練中に浮上できなくなり、全員殉職しました。

このとき、艇長である佐久間大尉は潜水艇で「浮上できない」という絶望的な状況にあったとは思えないほど冷静な遺書を残しています。こちらが遺書の内容。信じがたいほどの冷静さ。

小官の不注意により
陛下の艇を沈め
部下を殺す、
誠に申し訳なし、

されど艇員一同、
死に至るまで
皆よくその職を守り
沈着に事をしょせり

我れ等は国家のため
職に倒れ死といえども
ただただ遺憾とする所は
天下の士は
これの誤りもって
将来潜水艇の発展に
打撃をあたうるに至らざるやを
憂うるにあり、

願わくば諸君益々勉励もって
この誤解なく
将来潜水艇の発展研究に
全力を尽くされん事を
さすれば
我ら等一つも
遺憾とするところなし、

沈没の原因
ガソリン潜航の際
過度探入せしため
スルイスバルブを
締めんとせしも
途中チエン切れ
よって手にて之を閉めたるも後れ
後部に満水せり
約二十五度の傾斜にて沈降せり


沈据後の状況
一、傾斜約仰角十三度位
一、配電盤つかりたるため電灯消え
電纜燃え悪ガスを発生
呼吸に困難を感ぜり、

十四日午前十時頃沈没す、
この悪ガスの下に
手動ポンプにて排水につとむ、

一、沈下と共にメインタンクを
排水せり
灯り消えゲージ見えざるども
メインタンクは
排水し終われるものと認む

電流は全く使用するにあたわず、
電液は溢れるも少々、
海水は入らず
クロリンガス発生せず、
残気は五百ポンド位なり、
ただただ頼む所は
手動ポンプあるのみ、

ツリムは安全のため
ヨビ浮量六百
モーターの時は二百位とせり、

右十一時四十五分
司令塔の灯りにて記す

溢入の水に浸され
乗員大部衣湿ふ寒冷を感ず、
余は常に潜水艇員は
沈着細心の注意を要すると共に
大胆に行動せざれば
その発展を望むべからず、
細心の余り
萎縮せざらん事を戒めたり、
世の人はこの失敗を以て
あるいは嘲笑するものあらん、
されど我は前言の誤りなきを確信す、

一、司令塔の深度は五十二を示し、
排水に努めども
十二時までは底止して動かず、
この辺深度は十尋位なれば
正しきものならん、

一、潜水艇員士卒は
抜群中の抜群者より採用するを要す、
かかるときに困る故、
幸い本艇員は皆良くその職を
尽くせり、満足に思う、

我は常に家を出ずれば死を期す、
されば遺言状は既に
「カラサキ」引き出しの中にあり

(これ但し私事に関する事を言う必要なし、田口浅見兄よ之を愚父に致されよ)

公遺言
謹んで陛下に申す、
我が部下の遺族をして
窮するもの無からしめ給わらん事を、
我が念頭に懸かるものこれあるのみ、

右の諸君によろしく(順序不順)
一、斎藤大臣 一、島村中将
一、藤井中将 一、名和少将
一、山下少将 一、成田少将

(気圧高まり
鼓膜を破らるる如き
感あり)
 
一、小栗大佐 
一、井出大佐
一、松村中佐(純一)
一、松村大佐(竜)
一、松村少佐(菊)(小生の兄なり)
一、船越大佐、
一、成田鋼太郎先生
一、生田小金次先生

十二時三十分
呼吸非常に苦しい
ガソリンをブローアウト
せししつもりなれども、

ガソソリンにようた

一、中野大佐、

十二時四十分なり、
・・・・

引用ここまで。

また、乗員の方も持ち場を離れず、見事に散ったとして称賛されました。

この事件の前にイタリア海軍で同様の事件が起こった際には、乗員同士で生き残りをかけて争った形跡が見られたそうですので、第六潜水艇の乗員が最後まで持ち場を守ったことは、世界的にも驚きをもって迎えられます。

日本ではこの事故は神格化され、歌まで作られました。曰く帝国軍人たるものかくあれ、と。

ここまでが一般に知られる第六潜水艇の事故。

では、その背景には何があったのか?

佐久間艇長が指揮した第六潜水艇は故障が多く、他の潜水艇と比べて訓練が制限されていました。

事故当時も半ば強引に訓練に向い、かつ当時危険なため禁止されていたガソリン潜航という訓練をやっていたそうです。しかも、支援してくれる母船にも連絡せず。

さらに、母船は日頃から度々時間を超過して潜航する佐久間艇長に手を焼いていたそうで。指摘しても、怒られることもあったとかで、事故後の調査においても母船の船員は前後関係から免罪されています。

こういった命令違反があっても避難されるどころか神格化された事故。これが、第六潜水艇のもう一方の見方だと思います。

なお当時日本では、日露戦争後で財政が厳しく、海軍の財政に対して厳しい目が向けられつつあったそうです。

しかし、この事件が世論を後押しし、海軍への予算が認められる風潮になったそうです。潜水艇にも予算がつきました。

これを見ると、海軍、引いては国が陰謀的に利用したのかな~などとも見えてしまいますね…

ここからは穿った見方ですが。

もしかしたら、佐久間艇長はこのことを狙っていたのかも?

当時の財政難、海軍における潜水艇に関する評価の低さ。それらを一蹴すべく、事故覚悟であの訓練を行い、見事に事故原因まで記録して後世に託す魂胆だとしたら…?

でもなければ、禁止されているような訓練をわざわざするでしょうか?

遺書も、出来すぎていて…まるで覚悟していたような。そりゃ軍人は死を覚悟していた、と言われればまあそうなんですが。

そして、乗員の方も知っていて持ち場を離れなかったのかも?

空恐ろしくなりますね。デスノートに登場するLレベル。

でもその後、第二次世界大戦では日本海軍は潜水艦の使い方がまずかったという皮肉…

なお、今も山口県岩国市で毎年慰霊祭があるそうです。

英霊の御霊に感謝。見方は数あれど…


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