希死念慮と死生観

お疲れ様です、木曜日ももう終わりますね!4月がすぐそこで、桜なんかも咲いて、春をすこしづつ感じているところです。
さて、本日は希死念慮について。コトバンクによると定義は、
死にたいと願うこと。自殺願望と同義ともされるが、疾病や人間関係などの解決しがたい問題から逃れるために死を選択しようとする状態を「自殺願望」、具体的な理由はないが漠然と死を願う状態を「希死念慮」と使い分けることがある。
だそうです。
上記の定義に従うと私の場合、自殺はしないつもりですが他力によって漠然と死にたいと思うようになっているため、希死念慮にあたると思われます。
多分、然るべきところに受診したら、名前のつくような精神不安定感がありまして…
でも、診断しされてしまうと仕事に差し障るので、なんとか自分でやりくりしてる感じです。おそらく、同じような人は世の中にたくさんいるのではないでしょうか?
というわけで、今回は私の希死念慮対策をご紹介します。3つあります。
1つ目は、死生観を変えることです。
死にたいということは、死を日常に感じていないわけです。つまり、普通に生きていれば死ぬと思っていないから、それを求める。
これに気づいてから、私は死が当然だと思うように考え方を変えてみました。
いつ死ぬかわからない。毎日朝起きてから「今日死ぬのが当然だけど、頑張って生きてみよう」と独り言を言っています。
すると私の場合、心が軽くなりました。なにせいつでも死ねる、死ぬのが当たり前なので、「死にたい」と望まなくてもいいのです。死を望んでしまう心に嫌悪感があってどうしようもなかったのもあって。死を望む嫌悪感から解放されたのは大きかった。
また自然と生きることに必死になるようになり、花などが咲いていることに気づくようになりました。死ぬ前に、いろいろ目に焼き付けとこう、といった感情です。
2つ目は、適度な運動。
「筋トレは最強のソリューションである」という本を読んでから、運動を意識して取り入れるようにしました。

本の内容は、ぶっちゃけアホというかまっっすぐです。ただ、運動してみようかな、という気持ちになるし、した後の効果を考えるきっかけになる、良書だと思います。だまされたと思って、運動してみてください、ちょっと気持ちが上がります。
3つ目は、やりがいです。
ブログを始めてから、生きたい、もっとこの先どうなるか見てみたいと思うようになりました。まだひよっこブログですが、私にとっては独自ドメイン取得から手塩にかけた、自分のもの。子供の成長と併せて、ブログも成長してくれるので、これも楽しみになっています。
浪花節的には、家族が生きがいといいたいところですが、私の精神不安定のきっかけは家族との不仲なので、それは言えないのが辛いところ…家族仲には気をつけて。
以上3つ紹介しました。皆様の心に何か残れば、幸いです。
明日も、生きよう。