人の死と、命の儚さ
お疲れ様です。
今回は命の儚さについて、考えてみます。
アイキャッチやらアフィリエイトは、今回なし、文字だけで。すみません、華やかさはゼロです。
さて、最近理不尽な死が多い気がしています。
通り魔的な殺人だったり、御老人による意図しない交通事故だったり。
交通事故による事故死はほぼ毎日起きていますし、病気なんかによる若者のまさかの死も、当然起きています。
理不尽で予想も出来ない別れは、誰の人生にも必ずあるのだと思います。
私にとって、最初に死を実感したのは、祖母の死でした。
既に関係としては疎遠になってから、さらに仕事で葬式にすら出られなかったこともあり、あまり実感が湧きませんでしたが…
祖母はアルツハイマーが進んでおり、高齢だったこともあって、いつか別れが来るのだろうなと覚悟はしていたので、その死を受け入れることは、難しいことではありませんでした。
次に触れた死が、知り合いの死。
最後にあってから約一週間ほどたった頃。死因は窒息。自殺でした。
葬式にも出席し、初めて他人の死、それも少し前に会った人の死に触れました。
涙は出ず、ただ不思議な。
本当に死んでしまったのか?という感情が、胸のうちで回り続ける感じ。
棺の中で目を閉じている姿を見ると、なんだか今にも起きそうな感じがして、余計に頭が混乱した覚えがあります。
私が今まで経験した身近な死は、以上です。
自分の親も高齢に差し掛かり、確実に別れは近づいています。
私自身、いつ死ぬかもわかりません。年齢的には多分まだ…とは思いますが、冒頭で述べた通り、理不尽はすぐそこにある。
最愛の家族の死も、あるかもしれません。これは一番考えたくないことですが…しかし、考えておかないと、覚悟が出来ない。
私は覚悟していないまま理不尽が起こってしまうことは、とても辛いことだと思うのです。
なぜなら、よく想定外と言いますが、悲劇はそれが想定外であった場合、余計に悲惨なものになるのが普通だからです。
なので、私は常に覚悟をして日々を過ごしたいなと思うわけです。
覚悟について、一つの言葉を紹介します。
家を出るときは、どんなにイヤなことがあっても笑顔で「いってきます」。
送り出す時は、どんなにイヤなことがあっても笑顔で「いってらっしゃい」。
毎日これをやっておけば、それが今生の別れになっても後悔はしないはずだ。
というものです。出典は、すみません忘れました。
私自身、未熟であまり出来ていません。
別れが来る前に、こうありたいものです…
皆様はいかがでしょうか?