パラリンピックが能力主義を助長…それは違うような気が。

お疲れ様です。本日気になったニュースはこちら。https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190826-00010000-kanag-soci&p=1 右の広告邪魔や…笑

神奈川新聞様の記事とのこと。
記憶に新しい障害者施設「津久井やまゆり園」で起こった殺人事件。犯人は「能力が劣る障害者に生きる資格はない」と主張し、当時かなり注目されたものです。
一方でパラリンピックでは様々な障害をもつ人が、その能力を極限まで高め合って戦う。
これは「能力主義の助長」ではないかと。
うーん、どうなんでしょうね。
障害者を「能力が無い」と断じて殺人や虐待するなどもってのほか。これは論外ですね。
ただ、だからといってパラリンピックのような活躍の場を「能力主義の助長」として奪うのはおかしい。なぜなら、そこに向かって真剣に努力している方がいるのです。そこで輝くために。なのに部外者が「差別の象徴」などといってその場を取り上げるのは意味がない。
また、その真剣勝負の場を「差が出ないように」するのもおかしな話。一昔前に流行った、運動会で最後は皆で一緒にゴールする、と同じ詐欺感を感じます。
能力がある人が能力を発揮するのは自由。それを「差が出るから…」なんて縛るのは、おかしい。
運動にかかわらず、知能試験だって同じ。そこで輝ける能力を、みんな同じ点数とかされたらやる気なんてなくなりますわね。
適材適所、能力は発揮できるところで発揮する。人様の得意分野に中途半端に首を突っ込まず、素直に応援する。これが一番な気がします。
「能力が無い奴は殺す」みたいな極端な考えと「正当な能力主義」は切り離すべきでしょうね。能力主義じゃなかったら、世の中どうやって発展するのだろう…
さてこの記事…めっちゃバッシングされたりして。天下の新聞社様だし、個人の木っ端ブログまで目くじら立てないですよね。お願いします…お目こぼしを…